難聴者の心の軌跡

適応障害を乗り越えて。おはしの物語(6)難聴教員がたどり着いた自分だけの働き方

はじめに:先生になったあとの話私は中等度難聴の小学校教員です。回り道に回り道を重ねて教員になったのですが、働き始めてからも聞こえの問題が数多く立ちはだかりました。子ども同士の小さな声でのやりとり後ろからや、遠くから話しかけられる声休み時間の...
難聴者の心の軌跡

教壇に立ったその先で。おはしの物語(5)難聴教員を襲った「理想と現実のギャップ」

はじめに:やっとたどり着いた「教員」という仕事私は、中等度難聴の教員です。前回の記事「先生になろう」なんて思ってなかった。遠回りの人生の果てに。おはしの物語(4)難聴の私が教師になった理由では、大学を卒業してからフリーター生活を経て、教員に...
難聴者の心の軌跡

「先生になろう」なんて思ってなかった。遠回りの人生の果てに。おはしの物語(4)難聴の私が教師になった理由

はじめに:遠回りばかりだった自分前回の記事聞こえない大学生活で直面した「絶望」。おはしの物語(3)補聴器との出合いでは、大学の講義がほとんど聞き取れず、留年・休学を経て、なんとか大学を卒業することができた経緯を書きました。大学を卒業したもの...
難聴者の心の軌跡

聞こえない大学生活で直面した「絶望」。おはしの物語(3)補聴器との出合い

はじめに私は中等度感音性難聴があります。前回の記事夢を諦めた10代の葛藤。おはしの物語(2)難聴と職業選択では、高校生の頃に消防士や海上保安官を志すも、難聴により聴力基準を満たせず、あきらめざるを得なかった経緯を書きました。まずはそちらを読...
難聴者の心の軌跡

夢を諦めた10代の葛藤。おはしの物語(2)難聴と職業選択

はじめに「大きくなったら、何になりたい?」そんな質問を、子どものころ何度も聞かれました。今は逆に、私が子どもたちに聞く側になっています。私が10代の頃憧れ、初めて真剣に考えた職業は「消防士」や「海上保安官」でした。どちらも、人を助けるかっこ...
難聴者の心の軌跡

聞こえていたあの頃の記憶。おはしの物語(1)小・中学生時代

はじめに:「生き方のロールモデル」が見つからなかった私は中等度の感音性難聴があります。子どもの頃は、軽度難聴でした。聞こえの状態は人によって本当にさまざまです。重度の聴覚障がいのある方に比べると、「軽度」「中等度」は外からは分かりづらく、時...
生活を変えるツール

【難聴ライフ革命】生活が一変!本当に役立つ「聞こえのツール」5選

はじめに私は中等度の感音性難聴があります。聞こえにくさによる困りごとは日常のあちこちにありますが、それを少しでも軽くしてくれる道具が、世の中にはいくつもあります。今回は、私がこれまでに実際に使ってみたことがあるもの、これから使ってみたいと考...
生活を変えるツール

【補聴器の効果】つける意味がない?補聴器がもたらす「本当のメリット」と限界

私は、中等度の感音性難聴です。今では補聴器を使って生活していますが、はじめて補聴器をつけたのは20代の頃でした。軽度〜中等度の難聴者の中には、補聴器を使っていない方も多いのではないでしょうか。「補聴器をつけると、本当に聞こえやすくなるの?」...
おはしの私生活

【おはしが生まれた日】私がブログを書く理由。

はじめに:20記事目に書きたいことこの記事で、ブログ「おはしのおはなし」がちょうど20記事目になりました。難聴を軸に、これまでいろいろな記事を書いてきました。飽きっぽい私からしたらこれは快挙です😂読んでくださった皆さん、本当にありがとうござ...
難聴の科学と仕組み

【難聴の科学】なぜガヤガヤした場所は疲れるの?「カクテルパーティ効果」と難聴の関係を徹底解説

カクテルパーティ効果、という言葉をご存じでしょうか?なんだか楽し気な言葉ですよね。私ははじめて聞いた時、お酒に酔ったときのようなふわふわした気持ちになることかな?と思いましたが、実はそうではありません。みなさんは、にぎやかな場所(例えば学校...