
聞こえないのにほほえむってどういうこと?

実はそれには理由があってね。
聞こえたふりの笑顔
私はよく、聞き取れていなくても「聞こえたふり」をしてしまいます。特に複数人で話しているとき、やってしまいがちです。
みんながうなずくから、自分もうなずく。みんなが笑っているから、自分も笑う。でも、みんなが笑っている理由を、私は知りません。
たとえば職員室。誰かが冗談を言い、周りの先生たちが笑い声を上げる。私もつられて口角を上げるけれど、心の中は意味がわからずおいてけぼりです。
「今、なんて言ったんだろう?」その疑問を飲み込んで、笑顔を貼りつけます。空気を壊したくないから。もう一度聞き返す勇気が出ないから。
難聴は「ほほえみの障害」と呼ばれることがありますが、本当にその通りだと思います。
1対1での会話
難聴というと「音が小さく聞こえる障害」と思われがちです。でも本当にしんどいのは、「聞こえないこと」よりも「聞こえているのに理解できないこと」。
静かな場所で1対1で話している時ですら、ところどころ聞き取れないことがあります。すべてを聞き返していたら、時間がいくらあっても足りません。
だから、前後の文脈から推測して会話を続けます。時々推測が外れることもあるので、大事な部分は復唱して確認します。
「この人、やたら復唱するな」と思われているかもしれません。😂でも、1対1の会話なら、相手がすぐに修正してくれるので、なんとか成立します。
複数人になると
複数人での会話になると、難易度は一気に上がります。テンポが速くなり、会話がどんどん進んでいくからです。
会議のように一人ずつ順番に話す場面はまだましですが、飲み会の席などでは勝手が違います。
学生の頃、サークルやバイトの飲み会に参加しても、居酒屋の賑やかさにかき消されて、会話が聞き取れないことがよくありました。
みんな酔ってくると発音もあいまいになり、話し声が重なってもおかまいなし。それでも場はどんどん盛り上がっていき、自分の周囲の人はみんな大声で笑っています。
そんな中で「今、なんて言った?」と聞き返す勇気は出ませんでした。会話の流れを止めてしまう気がするからです。
気づけば、聞こえたふりをしてやり過ごすことが増えました。会話の内容がまったくわからなくても、みんなが笑うタイミングで一緒に笑っていました。
それがつらくて、次第に大人数の飲み会には行かなくなりました。職員室での雑談も、正直苦手です。
聞こえないと、話すことも怖くなる
聞き取れないと、自分から発言するのも不安になります。話したあと、相手の返事が聞き取れないかもしれない。そう思うと、自然と口数が減ってしまいます。
「聞こえないからって話さないのは甘えじゃない?」そんな言葉をかけられたこともあります。
けれど、常に相手の返事が聞き取れないかもしれない不安がある中、自分が会話の中心になるのは、想像以上に勇気がいることです。
聞き取れず、自分からも話さず。いつの間にか「雑談の仕方」を忘れていました。
外から見ると、一見「控えめな人」「寡黙な人」に見えるかもしれません。でも本当は、「聞き取れないからそうするしかなかった姿」です。
会話の輪の中にいながら、心はいつも孤独を感じていました。特に10代後半~20代の頃は、「難聴でなかったら、今ごろみんなと笑って話せていたのかな」そんな風に思ったことがよくありました。
本当のほほえみを取り戻すために
難聴は、音の障害であると同時に、コミュニケーションの障害でもあります。聞こえないことで雑談が苦手になり、会話の輪から距離を取るようになり、気づけば人との距離が広がっていく。
大勢で楽しそうに過ごす人たちを見て、憧れのような気持ちを抱いたこともありました。
でも、少人数での会話なら、表情や雰囲気から相手の気持ちを察することもできるし、自分たちのペースで話し、聞き取れなければ相手に聞き返すこともできます。
気心のしれた人とゆったりと過ごす。そんな時間が、私は好きです。
大勢でとか、少人数でとか、こだわらず、「聞こえたふり」の笑顔ではなく、心から笑える時間をこれからもつくっていけたらいいなと思います。



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