第5話 教壇に立ったその先で〜“夢のその後”に待っていた現実〜

はじめに:やっとたどり着いた「教員」という仕事

私は、中等度難聴の教員です。前回の記事「第4話「先生になろう」なんて思ってなかった〜遠回りの果てに見つけた道〜」では、大学を卒業してからフリーター生活を経て、教員になろうと決意し、学び直して教員免許を取得するまでの経緯を書きました。

大学を卒業したあと、すぐには就職せず、いくつかのアルバイトをかけもちしながら、自分の進む道をずっと探していました。迷いに迷って、最後にたどり着いたのが、子どもたちと関わる教員という仕事でした。

「立ち止まっていた経験も活かせるかもしれない」「あと何年かかってもいい、やりたいことをやろう」

そう決意したときの気持ちは、今でもはっきり覚えています。

教員免許を取得し、採用試験に合格したときには、やっとスタートラインに立てた――そんな喜びで胸がいっぱいでした。

その頃には、私は30歳を過ぎていました。

ちなみに私は障がい者手帳を持っていないので、一般枠での受験でした。面接の際は、面接官の言葉を聞き逃さないよう、文字通り体を前のめりにして試験を受けました。😂

すぐに感じた「聞こえの壁」

けれど、現実は甘くありませんでした。

小学校で働き始め、子どもたちに囲まれる毎日が始まってすぐ、「聴こえにくさ」が大きな壁となって立ちはだかりました。

私は子どもの頃からずっと軽度難聴でした。

大学で講義の声が聞き取れないことはありましたが、近距離での1対1での会話、少人数での会話では、周囲の環境にもよりますが、まだそこまで苦労していませんでした。

教育実習に行ったときにも、それほど不便を感じていませんでした。

しかし、教員になる1年ほど前から、友人達との会話の中で聞き返すことが増えてきていました。採用試験が迫っていたこともあり、一度きちんと診てもらおうと、久しぶりに耳鼻科を受診しました。聴力検査を受けるのは、初めて補聴器を購入した時以来、おそらく5~6年ぶりでした。

結果は、中等度難聴。いつのまにか聴力が下がっており、軽度から中等度になってしまっていました。

不安でしたが、いまさら進路を変えるわけにはいきません。

就職が決まると同時に、私は再び補聴器の購入を決めました。大学生の頃、初めてつけた補聴器では、言葉の聞き取りにはそれほど効果を感じられませんでしたが、少しでも聞こえをよくして働きたいという気持ちがありました。

ちなみにこの時の補聴器は、両親が就職祝いとして買ってくれました。高価なものなので本当にありがたかったです。ただ、世間でよく耳にする就職祝いと違いすぎて、複雑な気持ちもありました。素直に喜べない自分が嫌だったのを覚えています。

せっかく買ってもらった補聴器を無駄にすまいと、補聴器店で時々聞こえの調整をしてもらいながら、仕事でも使い始めました。今でもこの補聴器を使用しています。初めての補聴器の時に比べると有効活用できているように思います。

ただ、やはり言葉の明瞭度はそこまで上がりませんし、雑音の多い環境では、どうしても人の声が聞き取りづらくなってしまいます。

子ども同士の小さなやりとり。後ろからや、遠くから話しかけられる声。休み時間の喧噪の中での会話。などについては特に苦手です。

学校での聞こえの困りごとについては、過去の記事でも詳しく書いているので、読んでもらえると嬉しいです。

難聴のことを伝えるべきか

「”言わない方がよかった?” 難聴のことを伝えるべきか、ずっと悩んできた話。」の記事でも書きましたが、子ども達や同僚の先生達に、難聴のことを伝えるべきかどうか、という点も非常に悩みました。

クラス担任をする時は、クラスの子ども達には簡単に説明するようにしています。内線の呼び出し音が聞こえない時は「せんせい、でんわー!」とみんなが教えてくれるようになりました。

勇気を出して職員室で同僚に難聴のことを説明した時は、「わざわざみんなに伝える必要なかったのに。」と言われ、どうすればよいか分からなくなったこともありました。

伝えた時の反応はいつも人それぞれなので、いまだに少し緊張します。

耳鳴りと聞き疲れに悩まされる毎日

そんな生活が続く中で、気がつくと「耳鳴り」に悩まされるようになっていました。

朝起きた瞬間から耳鳴りがしている。だれもいない教室でも、キーンと音が鳴っている。静かな空間にいても落ち着かないことが増えました。

加えて、毎日の「聞き疲れ」。補聴器をつけていても、子ども達や同僚の声を聞き取るために頭をフル回転させる日々。補聴器をつけると音が大きく聞こえるので、余計に疲れたと感じることもあります。

子ども達が帰った後の教室でへたり込んでしまったり、帰宅する頃には、言葉を発する元気すら残っていなかったりしたこともありました。

働き始めたばかりの頃は仕事に慣れておらず、残業も多かったので「慣れてないだけ」「自分の体力がないだけ」そんな風に思っていました。

“聞き疲れ”なんだと気づいたのは、ずいぶん後になってからでした。

ついに限界が来て…「適応障害」の診断

疲れやストレス、耳鳴り。軽度から中等度に聴力が下がった時のように、今後また聞こえがわるくなったら、教員を続けられるだろうかという不安が、頭から離れなくなりました。

気づけば毎日通勤の時間になると、胸がむかむかし、吐き気をもよおすようになっていました。時間が経っても、週末にしっかり休息をとっても、一向に治りませんでした。

受診した病院で告げられたのは「適応障害」という診断名でした。

私は、しばらく休職することを選びました。

おわりに:「先生を続けていけるのか」

大学に入り直してまで目指した教員なのに、結局続けられないのか。また耳のことで人生が変わるのか。他の道を選ぶ方がよかったのか。

休職中は、そんなおもいが頭の中をぐるぐるしていました。

それでも、子どもたちと過ごす日々の中には、楽しいことや、やりがいを感じられる瞬間がたくさんありました。

子ども達とのたわいもない話、まっすぐな笑顔、小さな成長の場面――そのおかげで、なんとかここまでやってこられたのだと思います。

現在は復職して数年。なんとか続けられていますが、疲れがたまると耳鳴りが出るのは相変わらずです。聞こえにくい状況も変わっていません。むしろ少しずつわるくなっているように思います。

「このままじゃ続けられない」「でも辞めたくない」「辞めたとして何ができる?」そんな気持ちの狭間で、今も揺れています。

その一方で、「続けるか、辞めるか」だけではなく、「どんな働き方なら続けられるか」「自分が大切にしたいことは何か」――そんなことも考えるようになってきました。

次回は、適応障害から復職した後のことをお話したいと思います。

コメント

  1. A.I より:

    新学期スタートでお疲れ様です。おはしさんのブログを読むと、まるで難聴の私の35年間の教員生活を振り返っているかのようで懐かしくなります(授業での発表の聞き取り、電話の対応、会議での苦境…など)。さらに、「難聴で悩んでいるのは自分だけではないのだ。」と、生きる勇気をもらいます。学校は、難聴にはハードルの高い環境ですが、これからの記事も楽しみにしています。

    追伸:先日、第4話の方にもコメントさせていただきましたが、そちらの名前を「A.I」にご変更いただけますか。併せて、頂いたご返信の文中にある私の苗字も「A.I」に変更していただければ幸いです。中々このような場に投稿することがなく、うっかりしていました。ご多忙中すみませんがよろしくお願いいたします。

    • おはし おはし より:

      ありがとうございます。まだまだ暑い日が続きますね。35年間勤められたとのことで、敬服いたしました。私はまだその半分にも満たない期間しか働いていませんが、いつまで続けられるか不安でいっぱいです。難聴者のロールモデル、特に教員をされていた方となると周りにまったくいないので、心強く感じます。はじめは自分の気持ちの整理にと書き始めた文章でしたが、コメントをいただけて、読んで下さる方がいるとわかって嬉しいです。最近は毎週日曜日の20時頃にブログを更新しています。週1回はがんばって更新しようと思っているので、読んでいただけると励みになります。こちらもいろいろ教えていただきたいです。

      追伸の件、変更させていただきました。こちらの配慮が足らず申し訳ありませんでした。これからもよろしくお願い致します。

  2. A.I より:

    追伸の件、ありがとうございました。おはしさんこそ、私のロールモデルです。理解されにくい難聴のことを、実にすっきりうまく伝えていらっしゃるな、とこちらこそ敬服しました。「難聴について分かってもらいたい、伝えたい。」は、私の切実な願いであり続けています。そのためにエッセイ教室に通ったりもしました。あまりの文才のなさに自分でもあきれ果て、玉砕しました(笑)が、その時エッセイ教室の先生に言われた『「語る」ことは「カタルシス」につながる。』という言葉が、今も印象に残っています。中々うまく語れない私はおはしさんのブログを拝読して、カタルシスをありがたく頂戴できれば(合掌)、と思っています。教員の仕事は、中々やめられない魅力でいっぱいの、価値ある仕事だったと、退職した今、ほのぼのと思います。ただ、心身共にすこぶる大変だったのは確かです。おはしさんもお体くれぐれも大切になさってください。難聴でも、教員である喜びをいっぱい感じ取ることができますように!ブログも応援しています。

    • おはし おはし より:

      エッセイ教室に通われていたんですね!「語ることはカタルシスにつながる」…確かに、書いていると当時の悩みがよみがえってしんどくなることもありますが、書き終えるとどこかすっきりした気持ちになります。書き慣れていないので悩みながらですが、応援してくださるA.Iさんの分もがんばって書き続けようと思います!私もA.Iさんのように、価値ある仕事だったなと後から思い返せるような時間にしていきたいです。ありがとうございます!