第4話「先生になろう」なんて思ってなかった〜遠回りの果てに見つけた道〜

はじめに:遠回りばかりだった自分

前回の記事「第3話 聞こえない大学生活~補聴器との出合い~」では、大学の講義がほとんど聞き取れず、留年・休学を経て、なんとか大学を卒業することができた経緯を書きました。

大学を卒業したものの、すぐに就職する気持ちにはなりませんでした。理由はひとことで言うと、「自分に自信がもてなくなっていた」から。それは、これまでのうまくいかなかった経験や挫折が積み重なった結果でした。

高校時代に憧れていた消防士や海上保安官は、聴力の基準に満たずあきらめることに。大学では講義がほとんど聞き取れず、留年、休学。それでも卒業まではたどり着きましたが、「社会に出て働く自分」がまったく想像できなくなっていました。

10代の頃は割と楽観的で、それなりに自分に自信があったと思います。人と話すことも好きだったのですが、聞こえで悩んだ大学生活を経て、人と話すことがすっかり怖くなってしまっていました。

「どうせ自分には無理だ」「もう人生こんなものかな」という半ばあきらめのような気持ちが心の中をおおっていて、就職活動にまるで身が入りませんでした。

フリーター時代:とりあえず生活するだけの日々

形ばかりの就職活動を続けるも、どこからも内定はもらえず。学生時代から続けていたアルバイトをしながら、その日その日をなんとか生きていました。

目的があったわけではありません。ただ「生活のため」に働いていました。

その頃、私は20代後半にさしかかっていました。同じ年の友人達は、正社員として働き始めて数年経ち、ボーナスをもらい、社会人としてのキャリアを積んでいる。結婚して子どもがいる友人もいました。

そんな話を聞くたびに、「自分は何をしているんだろう」と焦りと劣等感を抱えながらも、どうすればいいのかわからず、変わらない毎日を送っていました。

「自分は何がしたいんだろう?」
「こんな生活をずっと続けるのかな?」
そんなおもいが、いつも胸の奥でくすぶっていました。

やりたいことをやろう

あるとき、アルバイトの合間に就職サイトを見ていて、ふと思いました。

「遠回りしてきた自分だからこそ、できることってないかな」と。

高校で夢を諦めたこと。大学で壁にぶつかったこと。聞こえにくさに悩みながらも、なんとか前に進んできたこと。

それってもしかすると、同じように悩んでいるだれかの力になれるかもしれない。

どうせ遠回りしているのなら、あと何年かかっても同じじゃないか。だったら、やりたいことをやろう。

そう思ったとき、ふと頭に浮かんだのが「教員」という仕事でした。

それまで一度も「先生になろう」なんて思ったことはありませんでした。

でも、不思議なことに、その瞬間だけは迷いがありませんでした。

「やってみたい」
その気持ちだけが、胸に残りました。

学び直して教員免許を取るという選択

先生になりたい、という気持ちが芽生えてきた後、それまで続けていたアルバイトを辞めて、教育に関わる仕事に一度就きました。

それまで子どもと関わる仕事をしたことがなかった私にとって、子どもたちと向き合う日々は、新鮮で、驚きと発見の連続でした。

子どもたちと関わる中で、自分の中で「やっぱり先生になりたい」という思いが強くなっていきました。

そうと決めたら、まずは教員免許の取得です。卒業した大学では教育学部ではなく、教員免許を持っていませんでした。

教育学部のある大学の編入試験を受け、生活費を工面するため、アルバイトのかけもちをしながら通学をはじめました。

しんどい時もありましたが、幸い仲間に恵まれ、卒業までたどり着き、無事に教員免許を取得することができました。

おわりに:回り道だったけれど

私は、まっすぐな道を歩いてきたわけではありません。たくさん迷って、立ち止まり、何度も遠回りしてきました。

でも、回り道をしてこなければ出会えなかった人達がたくさんいます。「教員になる」という選択もしていなかったと思います。

人生って何が起こるか分からないなと、つくづく感じます。

ただ、これでめでたしめでたし、とはいきません。教員になってからも、聞こえで困ることがたくさん出てきました。😂

次回は、教員になってからのことをお話ししようと思います。

コメント

  1. A.I より:

    おはしさん、はじめまして。私もおはしさん同様、子供時代から軽度→中度難聴とじわじわ進み、現在は55~70dB程度の難聴者で元教員です。貴HPの記事を拝読し、人間関係の辛さや仕事でのさまざまなご苦労…まるで自分のことのように、そのご苦労や辛さが深く心に刺さりました。途中も休職なさっているようですが、私も辛くて仕事を辞めたいと思ったことは100万回。今だに口に出して言えないほどつらい記憶がたくさんあります。難聴のストレスで鬱になるかならないような危ういメンタルバランスで今も何とか生きています。中々おはしさんのような難聴の方と出会うことがなく、健聴者の方に苦境を打ち明けてもぽかんとされるか忘れられるだけ。共感をもって難聴の苦しみをシェアできる場があるとどれだけよいか、と思います。これからどんな記事を書かれるのか、楽しみにしています。差し支えなければ個人的に互いの経験などシェア出来たらうれしいなと思ったりもしています。

    • おはし おはし より:

      はじめまして。読んで下さってありがとうございます。教員をされていたんですね。私も、家族には難聴者がいるのですが、他に難聴の方と知り合う機会がないのでコメントいただけて嬉しいです。難聴由来の悩みは理解してもらうことが難しいですよね。仕事での悩み、難聴の進行のこと、相談もなかなかできず頭から離れません。私は現在両耳とも45dB~50dB程度なのですが、それでも悩んだり落ち込んだりすることがたくさんあります。A.Iさんのお辛さ、察するに余りあります。難聴のことを話せる場、あったらいいですよね。また情報交換していきましょう!