障害者手帳を持っていないというと、驚かれることがあります。手帳の話になると、胸の奥が少しだけざわっとします。就職の場面でも、補聴器を買うときでも、行政の支援を受けようと思ったときでも、障害者手帳の有無があらゆる支援の入り口になるからです。
けれど、私は障害者手帳を持っていません。生活の中で、職場で、毎日たくさん困っていても、日本の公的な認定基準に満たないからです。これは、私のような軽度〜中等度難聴者には珍しい話ではありません。制度を必要としている人が、その制度の外側に立たされてしまう。そんな矛盾を抱えたまま、生き抜くことを求められてきました。
今日は、難聴教員である私が直面した「手帳取得の壁」と、その背景にあるものについてお話しします。
手帳がないと、ほとんどの支援が受けられない現実
手帳のない難聴者の生活は、基本的に健聴者と同じく、聞こえることが前提で成り立っています。会議、電話、研修、放送、病院の呼び出し、そして日常のちょっとした会話――どれも聞こえにくい人には高いハードルです。
それなのに、日本の制度では、「手帳がない=困りごとは軽い」という扱いになります。手帳がないことで、以下のような支援のほとんどが利用できなくなります。
- 数十万円の補聴器の購入補助が一切受けられず、全額自費になる
- 通訳や支援サービスの利用が基本的にできない
- 障害者雇用枠での就職や転職活動ができない
このブログの過去の記事でも書いているように、現実には困る場面がたくさんあるのに、手帳の壁が私たちと支援の間に立ちふさがっているのです。
日本の認定基準は、国際基準と比べてとても厳しい
なぜ生活で困っている人が「手帳が取れない」状態になるのでしょうか? それは、日本の聴覚障害の認定基準が国際的な基準と比べて非常に厳しいと言われているからです。
日本では聴覚障害者手帳に等級があり、もっとも軽い(取得しやすい)6級でも、両耳の平均聴力レベルが70dB以上とされています。これは、40cm以上の距離で発声された会話が理解しにくい程度、だそうです。40cmて!😭
この数値が、生活で困っていても手帳が取れない軽度〜中等度難聴者との間に、大きな「制度の線引き」を作っています。
デフリンピックは55dBから。それでも日本では“対象外”
日本の基準の厳しさを象徴する例のひとつが、デフリンピック(聴覚障害者の国際スポーツ大会)の参加基準です。デフリンピックの参加条件は、聴力の良い方の耳が55dB以上の難聴であることです。
しかし、日本の聴覚障害の認定基準は70dB以上。
一方、アメリカやスウェーデンなど、55dBよりさらに聴力が良くても、公的な支援を受けられる国もあります。
同じ聴力の人が「住んでいる場所によって支援を受けられたり受けられなかったりする」――この事実は、難聴者の人生を左右する、非常に大きな問題だと思います。
常に“健聴者と同じ土俵”で戦わないといけない現実
手帳がない人は、文字通り制度の外側に立たされます。その結果、日常のあらゆる場面で「みんなと同じように」「同じスピードで」「同じ質で」こなすことを求められます。
- 聞こえにくい会議でも、支援機器なし、もしくは自分で補聴器や文字起こしを用意して頑張る
- 電話対応で聞き間違いをしたら「不注意」扱いされる
- ざわざわした教室で一日中聞き取りを頑張って疲れ果てても「普通のこと」と片付けられる
- 就職活動では障害者枠で応募できず、一般枠での応募を余儀なくされる
就職活動では、一般枠での応募となるので、履歴書に難聴と書けばマイナス要素になりかねません。書かなければ、入社後に配慮を求めるのが難しくなります。応募時に申告していなかったとして、後々問題になることもあるかもしれません。
しかし、伝えたら伝えたで、難聴っていっても、障害者手帳を持つほどじゃないんでしょ?と、そう言いたげな空気を感じたことがこれまで何度もありました。
困っていても「困っている」と公的に認めてもらえない苦しさ。その重さを抱えて生きている人は、想像以上に多いと思います。
線引きを変えるだけで、救われる人が増える
必要なのは、「手帳がある/ない」ではなく、「困りごとベースの支援」だと思います。
もちろん、障害者手帳を取得するほど聴力が低下している人のご苦労は計り知れません。
かと言って、軽度~中等度難聴者の悩みや困り事が軽いものかというと、決してそんなことはありません。
難聴は外から見えにくい障害です。だからこそ、制度の線引きが少し変わるだけで救われる人は一気に増えます。
私自身、ずっと健聴者と同じフィールドで走ることのしんどさを感じてきました。
けれど、声を上げることで少しずつ何かが変わるかもしれない。
そう信じて、今日もこうして記事を書いています。



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