「見た目ではわからない」軽度・中等度難聴の“しんどさ”

「難聴です」と伝えると、戸惑われることがあります。
「えっ?ふつうに話せてますよね」
「そんなふうに見えませんでした」

たしかに私は、大きな声で話しかけられなくても、なんとか会話できます。
補聴器をつければ、だいたいの言葉は耳に届きます。
でも、それは「聞こえているように見える」だけで、実際には、たくさんの場面で困っています。

見た目ではわからない、でも確かにある“壁”

私は、子どもの頃から20代半ばまでは軽度、20代後半からは中等度の感音性難聴です。
会話中に聞き返すことが多いし、周囲に雑音があると、ほとんど聞き取れないこともあります。

もちろん、聞き取れなかった時はできるだけ聞き返します。
でも、何度も何度も聞き返すのは正直つらい。話の腰を折ってしまうし、時間もかかってしまうからです。

特に、複数人でテンポよく話が進んでいるときには、聞き返すことをためらってしまいます。
そこで私は、聞き取れた単語を手がかりに、前後の文脈を推測しながら会話を補完しています。もちろん推測なので、はずれる時もあります。

たまに盛大な勘違いをして返事をしてしまい、「えっ!?どういうこと!?」と二重に聞き返されることも…😂

でも、こうした困難は、外からは見えません。
「ちゃんと聞いてる?」
「さっき言ったよね?」
そんなふうに言われるたび、うまく説明ができなくて、ただただ申し訳ない気持ちになっていました。

「いつも会話できてるのに、都合が悪いときだけ聞こえないふりしてない?」
そう言われたこともあります。

言葉が聞き取れないことそのものよりも、「聞こえていないことを理解されないこと」の方が、ずっとしんどい時があります。

「聞こえているように見える」からこぼれ落ちるもの

多くの人が思い描く「難聴」は、もっと“わかりやすい”イメージかもしれません。
補聴器をつけていて、声を大きくして話さないと聞こえない。あるいは、手話を使って会話している姿。

でも、私のように「相手の声を聞いて会話はできるけれど、実はかなりの情報を聞き落としている」タイプは、支援の網の目からこぼれ落ちやすいと感じています。

私は障がい者手帳を持っていません。制度の基準にあてはまらないからです。
でも、手帳がなくても困る場面はたくさんあります。

会議、雑談、電話、教室のざわめき…。
静かな場所で、家族と1対1の会話でも、よく聞き返します。
一人でいるとき以外、常に「聞き逃すかもしれない」という緊張感があります。

周囲には伝わりにくいその「聞こえにくさ」が、静かに心をすり減らしていきます。

補聴器をつけても、すべてが聞こえるわけではない

補聴器は「治す」ものではなく、「補う」ものです。
特に感音性難聴では、音がただ大きくなるだけで、肝心の「言葉の輪郭」はぼやけたままです。

「補聴器をつけている=聞こえている」と思われることもありますが、実際には、聞こえづらさは変わらず残ります。

たとえば、日本語の曲でも、歌詞を字幕なしで聞くと、聞き取れない部分があって「今なんて言ったんだろう?」と気になることってありますよね。
音量を上げれば解決するわけでもなく、何度聞いても分からないことも。感音性難聴の聞こえ方も、それに近いものがあります。

ちなみに私は、BGMの大きさにもよりますが、はじめての曲を歌詞なしで聴くと、なんと言っているかほぼほぼ聞き取れません。😭

気づかれないまま、疲れていく

軽度〜中等度の難聴は、外見からは分かりづらく、気づかれにくいものです。
聞き取りにくい場面でも、周囲には「普通に聞こえているように」見えてしまう。

困っていてもそうは思われないことが多くて、気づかれないようにふるまおうと、無理をしてしまう。
誰にも伝えられないまま、少しずつ疲れていき、人との関わりが億劫になることもあります。

私自身も、「どうせわかってもらえない」と感じて心を閉ざしそうになったことが何度もあります。
きっと同じように悩んでいる難聴の方はたくさんいるのではないでしょうか。

だれかといても、一人ぼっち

聞こえにくさは、見た目ではわかりません。
聞こえているように見えても、実は聞き取れていないこともあります。

でも、場の空気を壊さないように、まわりに合わせて相槌を打ったり、笑ったり。
みんなで談笑していても、心の中では孤独を感じています。

「気づいてもらえない」「わかってもらえない」それが、何よりもつらい。

周囲にとっては些細なことでも、自分にとっては、ずっと心に残ることがあります。

「難聴」と聞くと、多くの人は「音が聞こえないこと」が一番の困難だと考えるかもしれません。
でも実は——
聞こえにくさそのものよりも、そこから生まれる誤解や孤独の方がずっと、心に深く残り続けるのかもしれません。

難聴者といっても聞こえ方は人それぞれ違うので、困りごとや感じ方も人それぞれで、同じではないと思います。それでも、私自身の経験をこうして伝えていくことで、難聴のことをもっとたくさんの人に知ってもらえたら嬉しいです。