はじめに
「大きくなったら、何になりたい?」そんな質問を、子どものころ何度も聞かれました。今は逆に、私が子どもたちに聞く側になっています。
私が10代の頃憧れ、初めて真剣に考えた職業は「消防士」や「海上保安官」でした。どちらも、人を助けるかっこいい仕事。強くて優しい、人の役に立てる大人になりたいと思っていました。
でもその夢は、叶いませんでした。
私は中等度難聴のある小学校教員です。「聞こえにくさ」と向き合いながら、どうやって今の仕事にたどり着いたのか――その道のりを、少しずつ書いています。今回はその第2回目。高校生だった私が、夢をあきらめるしかなかった体験について書きました。
前回の記事「第1話 聞こえていたあの頃~小・中学生時代~」から読んでもらえると嬉しいです。
[憧れ] 消防士・海上保安官に惹かれた高校時代
高校生の頃、私は消防士や海上保安官に憧れていました。人の命を守る、厳しくもやりがいのある現場。ドラマやニュースの中でしか見ることはありませんでしたが、かっこいい制服姿や、海や火災現場での真剣なまなざしに心を動かされ、「こんな仕事に就きたい」と、漠然と憧れを抱くようになっていました。
当時運動部に所属し、体を鍛えることが好きだったことも影響しています😂
小中学生の頃の私は、軽度の難聴がありましたが、日常生活で困ることはほとんどありませんでした。小学校の頃から、学校の聴力検査では毎年引っかかっていたものの、聞こえていないのは高い音域のみで、それでも当時は蝉の声や体温計の電子音などは聞こえていました。
授業では、先生がはきはき話してくれ、板書を丁寧にしてくれていましたし、友達との会話でも困っていませんでした。聞き間違いや聞き逃しもほとんどありませんでした。自分では気づいていなかっただけかもしれませんが。😂
先天性の難聴のため、治療はできないと聞いていたこともあって、定期的に病院で診てもらうようなこともありませんでした。高校生になってからは、会話中に聞き返すことが増えたり、体温計の電子音が聞こえにくくなったりしていたように思いますが、難聴のことはそれほど深刻に捉えていませんでした。
[衝撃] “聴力が基準に達していない”
進路を真剣に考え始めた高校2年生の頃、本屋に行って、いろんな仕事や資格についての本を探しました。魅力的な仕事はたくさんありましたが、その中でもやはり、消防官や海上保安官のページから目を離すことができなくなりました。
「危険は大きいけど、やっぱり困っている人を助ける仕事がしたい。」
本屋では見つけられなかった、消防士や海上保安官についての参考資料や、採用試験の過去問などを取り寄せてもらって、購入したことを覚えています。
手元に資料が届いた時には、いよいよこれから始まるんだと、わくわくしていました。
ですが、それらの資料の中で、気になる記述を見つけました。聴力に関する記述です。
正確には覚えていませんが、「聴力デシベルが〇〇以上の失聴がある者は不合格とする」というような内容だったと思います。
学校で聴力検査は受けていたものの、自分の耳について、「遺伝性」で「高い音が聞き取りにくい」「軽度」の難聴だということしか知らなかった私。
両親と相談し、大丈夫だとは思うけど念のためということで、病院で聴力検査を受けることにしました。
結果は、衝撃的なものでした。
「あなたの聴力は、この資料に書かれている基準を満たしていません。」
つまり、消防士や海上保安官にはなれない。
そう告げられたとき、頭の中が真っ白になりました。
自分の耳のことを、それほど重く受け止めてこなかったので、どこか現実味を感じられませんでした。
話を一度で聞き取れないことがあっても、日常生活は問題なく過ごせていました。高校生になって体温計のピピッという音が聞こえにくくなってきていても、「まあ、そういうものかな。」と気にしていなかったのです。
それが、試験を受ける前から門前払い。「挑戦すらできないんだ。」と知ったとき、心の中に穴があいたような感覚になりました。
※自治体によって基準が違うようです。軽度難聴でも聞こえ方は人それぞれですので、軽度難聴の人は絶対に消防官、海上保安官になれないということではありません。ご注意下さい。今は当時と募集要項の記載の仕方が変わっており、「正常であること」「職務遂行上支障がないこと」のような書き方のところが多いようです。
「できないこと」に直面した10代
聴力は「命に関わる現場」では重要な能力。そこに“適さない”と判定された。人生で自分の「できないこと」を初めてはっきりと突きつけられた瞬間でした。
「耳が聞こえないことで、できないことがあるんだ」
「頑張っても、夢がかなわないことがあるんだ」
そんな苦しさを、初めて実感しました。
それまでの私は、勉強は得意な方で、がんばれば周囲と同じように、自分の進みたい進路を選べると思っていました。でも、そこには「難聴」という見えないハードルがありました。
難聴が軽度でも、職業選択は慎重に
軽度難聴でも、人生の大事な選択や行動が制限されることがあります。私は高校生の頃に初めてそれを知りました。
難聴は、子どもの頃は軽度でも、私のように年齢とともに少しずつ聴力が下がっていくケースがあります。私は進行性の難聴ではないといわれていますが、それでも5~10年単位で聴力が落ちてきています。軽度でも、耳鼻科の定期的な受診は大事です。
そして、職業選択をする時には、採用にあたって聴力の基準がないかどうか、確かめることが必ず必要です。
また、就職後数十年間働くと考えたときに、聞こえにくさで困る場面はなさそうか、困る場面があった時はどうすればよいか、困り事が重なったとしても自分の力を発揮して前向きに働ける職場かどうか、そういった点を、若い難聴当事者だけでなく、ご家族や周りの先生達にも、一緒に考えてあげてほしいと思います。
特に、軽度〜中等度難聴の子ども達は、地域の学校で健聴の子ども達と一緒に学んでいる子が多いと思います。学校生活、日常生活の中で聞き取りのサポートはできても、卒業後の進路について、難聴の子どもが実際に経験しそうな困難を想定して、アドバイスしたり情報を提供できたりする方は多くはないのではないかと思います。
私のように、本人が困っている様子がない場合はなおさら、ご家族も、先生達も、特に支援は必要ないと考えてしまうでしょう。
とはいえ、実際に働いてみないと分からない部分もあると思います。だからまずはできる範囲で経験してみるのも一つの手です。
難聴だから人とあまり会話しなくてもできる仕事の方がストレスは少ないかな、と思って在宅ワークを始めても、やってみたら自分に合わず、外で人と関わる方がやりがいを感じられる、という人もいるでしょう。
今は転職が珍しくない時代ですし、心配しすぎずにまずやってみること、上手くいかなかったら気持ちを切り替えて新しい場所を探すこと、が大事だと思います。
おわりに
絶対にこの仕事がしたい、という熱い気持ちを持つ子どももいると思います。その気持ちは大事にし、応援してあげたいですが、それが上手くいかなかった時、プランB、プランCを考えておくことは、難聴者でなくても大事かなと思います。
あきらめずに探し続ければ、もちろん大変なこともありますが、きっと自分の力を活かせる場所が見つかるはずです。と、いつまで小学校の教員を続けられるか不安な自分にも言い聞かせています。😂
次回は、私が消防士や海上保安官になることを諦めた後、どのように進路を模索し、どんな大学生活を送ったのか、お話ししたいと思います。
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