はじめに:「生き方のロールモデル」が見つからなかった
私は中等度の感音性難聴があります。子どもの頃は、軽度難聴でした。
聞こえの状態は人によって本当にさまざまです。
重度の聴覚障がいのある方に比べると、「軽度」「中等度」は外からは分かりづらく、時には「聞こえているように見えるのに、なぜ?」と誤解されることもあります。
進路や就職で悩んだとき、「自分と同じような難聴の人って、どうやって生きているんだろう?」と何度も思いました。
でも、当時の私は、自分の生き方を重ねられるような難聴者のロールモデルが見つかりませんでした。
父も難聴ですが、人との会話が少ない仕事をしており、自分の将来に結び付けて考えることができませんでした。
「軽度」「中等度」難聴の子どもは、特別支援学校ではなく、地域の学校に通っている子が大半だと思います。本人がそこまで学校生活で困っている場面がない、という子もいるでしょう。私もそうでした。
ですが、大学に入学した時や、就職してから難聴の影響を感じ始めたという方も多いのではないかと思います。(大学は、教室以外の場所での人との会話が増える、板書が少なくなる、耳からの情報量が増える、話し合い活動が頻繁になる、アルバイトを始める、など、高校からの変化が大きいです)
私も本格的に難聴で不便を感じ始めたのは大学生の頃で、何の心構えもしておらず、改善法もわからず、とてもつらかったです。
だからこそ、このブログでは、難聴や補聴器のことだけではなく、自分の経験したことも伝えていきたいと思っています。
今回から、難聴の私がたどってきた道を、5話にわたって書いていきます。
「聞こえにくさ」と共に生きてきたなかで、
夢を諦めたこと、進路に迷ったこと、社会に出ることに不安を感じたこと、そして教員になった今のこと。
楽しかったことも、うまくいかなかったことも、たくさんありました。
私の話が、難聴の方や、そのご家族、側で支えてらっしゃる方々のお役に立てたら嬉しいです。
自信に満ちていた――聞こえの影響がほとんどなかった小・中学生時代
今でこそ、聞こえにくさや人とのコミュニケーションに悩む日々を送っている私ですが、
そんな私も、小学生、中学生の頃は、人並みの自信がありました。
この時期は、難聴の影響をほとんど感じずに過ごすことができていました。
小学生時代:人と話すことが好きだった
小学校時代の私は、決して冗談を言って場を盛り上げられるようなタイプではありませんでしたが、人前で話すのも、人と関わるのも好きでした。
授業中は真面目に授業をうけて、毎時間手を挙げて発表していました。
恥ずかしがり屋の目立ちたがり、というやつで、学級委員に自分から立候補するような子どもでした。
ドッジボールやかけっこが得意で、休み時間はいつも外で汗だくになって遊んでいました。
好奇心旺盛で、「これやってみたい!」と気になった習い事をいくつも経験させてもらいました。
高学年からは塾にも通い始め、テストで良い点が取れるようになり、だんだん勉強が「楽しい」と思えるようになっていきました。先生にも褒められて、自分に自信がついてきました。
友達にも恵まれ、大きな悩みのない学校生活を送っていたように思います。
耳の方はと言うと、毎年聴力検査には引っ掛かっていましたが、聞こえにくいのは高音のみの軽度難聴。虫の声や体温計の電子音なども大きく聞こえていたので、全く不便を感じていませんでした。
難聴は父方からの遺伝だということはわかっていたし、治療法がないため、耳鼻科には通っていませんでした。
もしかしたら、気づいていなかっただけで、聞き逃していた音がたくさんあったのかもしれません。
でも、「自分は普通に聞こえている」と思っていたし、友達との会話でも特に困ることはありませんでした。
言葉が聞き取れないということもほとんどなかったと思います。
難聴者だという自覚は、まったくありませんでした。
中学生時代:学年トップの常連
中学生になると、定期テストの順位が発表されるようになりました。
負けず嫌いだった私は、それでやる気スイッチが入り、2年生半ば頃から、定期テストでは学年トップの常連になりました。
勉強を頑張ると順位が伸びて「やった!」と喜んだり、先生や友達から「さすがだね」と言われて、ちょっと得意になったり。
部活は運動部に所属し、友達とも自然に話して、ふざけあって、充実した楽しい毎日を送っていました。
この頃は、頑張れば頑張った分、結果となって自分に返ってきました。
自分は努力できる人間だ。頑張れば大抵のことは叶えられる。
そんな風に信じて疑いませんでした。
「聞こえない」って、どういうこと?
いま、あの頃の自分をふりかえると、
「ほんとうに、あの頃は“聞こえていた”んだな」と感じます。
カエルの鳴き声も、体温計の“ピピッ”という音も。
先生の雑談も、友達のつぶやきも、
自然に、当たり前のように耳に入ってきていました。
“聞こえる”ということを、意識すらせずに過ごしていたあの頃。
あの頃の私は、それが「当たり前」だと思っていました。
でも今思えば、それは本当に、かけがえのない日常だったのだと感じます。
おわりに
中学生までの私は、自分に自信があって、前向きで、人との関わりを楽しんでいました。
「できる自分」が当たり前で、何かを恐れることもありませんでした。
次回は、人生で初めてぶつかった「難聴という壁」について、憧れた夢をあきらめた高校生の頃の話を書きたいと思います。
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