はじめに:20記事目に書きたいこと
この記事で、ブログ「おはしのおはなし」がちょうど20記事目になりました。
難聴を軸に、これまでいろいろな記事を書いてきました。
飽きっぽい私からしたらこれは快挙です😂
読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。
今回は、少しだけ個人的なお話をさせてください。
テーマは「おはし」というキャラクターが生まれた背景… 私自身のこと。
難聴の話を書くきっかけになった、「はじまりのおはなし」です。
最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
適応障害になって
数年前、小学校の教員として働く中で、心も体も限界に達してしまった時期がありました。
きっかけは一つではなかったと思います。
授業、子どもたちとの関わり、職員会議、研修、保護者対応、書類仕事の山……
通常の教員の仕事に加え、難聴の聞こえにくさによる疲れとストレス。毎日頻繁に繰り返す耳鳴り。
短期間で急激な変化はないものの、年齢とともに少しずつわるくなっていく聴力に、 いつまで教員を続けられるかわからないという不安。
気がつけば、毎日通勤の時間になると胸がむかむかし、吐き気をもよおすようになっていました。
はじめは疲れているだけかな、と思い、しばらく様子を見ていたのですが、一向に治らず。
まさかと思い受診した心療内科で告げられたのは「適応障害」という診断名でした。
あのときは、「これで教員人生が終わってしまうのかもしれない」と、本気で思いました。
さらに、「自分は頑張れていない」「周りに迷惑をかけている」「クラスの子ども達に申し訳ない」
という罪悪感や無力感が、じわじわと自分を追い詰めていました。
家族や職場の先生方と相談した後、しばらく休職するという選択をすることにしました。
時計の針が止まったような日々
多忙な職場で過ごす日常から一転、休職してしばらくは、まるで時間が止まっているかのように、 静かに時間が流れていきました。
しかし、時間はあっても、何をしていても気力が湧かず、何もしなくても疲れて眠い。
暇つぶしにテレビをつけても、何も頭に入ってこない。
大好きなはずの読書や映画鑑賞にも集中できない。
人と連絡を取るのもおっくうで、仕事は休みのはずなのに全く落ち着かず、 気持ちが沈んでしまっていました。
そんな時、そっと寄り添ってくれたのが、妻でした。
何か特別なことをしてくれたわけではありません。
一緒にごはんを食べたり、少しだけ散歩に出たり、ただ横にいてくれたり。
言葉よりも、変わらずに側にいてくれることでとても安心できました。
「おはし」誕生
ある日、リビングの机の上をふと見ると、白い紙に鉛筆で絵が描かれているのを見つけました。
(この時、私はまだ休職中でした。職場に行けなくなり、外出といえば定期的に病院に行くくらいで、 それもない日は家にこもる毎日。妻は働いていたので、平日は私が1人で留守番をしていました。)
自分は絵など描いた覚えはないので、妻に違いありません。
そこに描かれていたのが、「難聴さん」でした。
人間の男性で、少し疲れているけど、どこかやさしそうな雰囲気のキャラクター。
私が時々、難聴のことで悩みや困りごとを妻に話すことがあったので、 それをもとに描いてくれたそうです。
正直、びっくりしました。そして、うれしかった。
どこか自分に似ている気がして、何度もそのイラストを眺めました。
「こんなふうに見えていたのか」「これ、今の自分だな」
そこから少しずつ、私たちは難聴について、イラストを通して話すようになりました。
そして、あるとき妻がふと提案してくれました。
「もっと個性のあるキャラにしてみるのはどう?」
そのひと言をきっかけに、「なんちょう」の「ちょう」から鳥を連想して、私がもともと好きだったオオハシの話になりました。
「オオハシ、好きなんだよね」「じゃあ、おはしっていう名前はどう?」
「耳がふさがっていると、聞こえないってわかるかな?」「じゃあ着ぐるみでも着てみる?」
「男の子には聞こえてなくて、オオハシには聞こえているようにしようか。聞こえるオオハシが聞こえない男の子を助けてくれてるイメージで」
そんなことを、ああでもない、こうでもないと話し続け—— ついに「おはし」が誕生しました。
おはしがいてくれたから
「おはし」は、オオハシがモチーフの、ちょっと不思議でやさしいキャラクター。
それからは、時々妻が私の普段の様子を「おはし」をつかって描いてくれるようになりました。
私が疲れてソファでぐったりしている様子や、ぼーっとしている様子、ちょっと元気が出たときの様子。
「行ってらっしゃい」「お疲れ様」など、メッセージを添えて描いてくれることもありました。
イラストにしてもらうと、なんだか自分自身の姿を客観的に見られるような気がしました。
「今日の私は、こんな感じだったんだな」「がんばったよな」
だんだんそう思えるようになっていきました。
あの日の「難聴さん」から「おはし」へ
「おはし」は、妻のやさしさと、ユーモアから生まれました。
最初は単につらい気持ちを癒してくれるキャラクターでしたが、今ではこうしてブログやSNSに登場し、難聴のことや私の気持ちを伝える役割まで担ってくれています。
実は、「おはしのおはなし」を書き始める前にも、SNSで難聴のことを投稿していたのですが、 難聴のことを文章にすると、どうしても過去のつらかったことや悩んでいたことが頭をよぎって 暗い気持ちになってしまうことが多く、長続きしませんでした。
ですが今は、「おはし」がいてくれることで楽しく続けられています。
「おはし」は、私の弱さも不器用さも引っくるめて、まるごと肯定してくれる存在になりました。
何もできない日も、「それでいいよ」と言ってくれるような。
今では私自身の分身のようなものです。
妻との小さなやりとりの中で生まれたキャラクターが、こうして私の心を支えてくれています。
復職、そして「おはしのおはなし」へ
妻とおはしに励まされ、少しずつ体と心の健康を取り戻した私は、 数ヶ月の休職を経て復職しました。
少しずつ元の生活に戻っていきましたが、仕事に復帰するのはやはり怖かったです。
でも、「もう一度やってみよう」と思えたのは、妻と「おはし」のおかげだった気がします。
そして、自分の気持ちを言葉にするために、難聴のことをいろんな人に知ってもらうために、ブログ「おはしのおはなし」を始めました。
最初はなかなか書き進められませんでしたが、少しずつ、難聴のこと、自分の感じていることを書けるようになってきました。
おわりに:読んでくださってありがとうございます。
節目に書いておきたかった「おはし」のこと。
それは、私自身の分身であり、支えでもあり、読んでくださる皆さんとつながるための“かけ橋”でもあります。
これからも「難聴の話」を通して、私自身が体験したこと、普段感じている「生きづらさ」や「不器用さ」なども、正直に書いていきたいと思います。
ちなみに、おはしと同じ時期に、妻をモデルにしたキャラクター「ちゃわん」も誕生しました。🤣
ちゃわんについても、いずれ紹介したいと思っています。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
そして――
「おはしのおはなし」を、これからもよろしくお願いします。
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