子どもとのやりとり・心の気づき
私は中等度難聴の教員です。
補聴器をつけていても、教室のざわざわした音の中では、子どもの声や校内放送がうまく聞きとれなかったり、内線の呼び出し音に気づけなかったりすることがあります。😭
そんな自分が嫌で、「迷惑をかけている」という申し訳なさを常々感じていました。
でも、子どもたちとの日々の中で「聞こえない」ことのとらえ方が少しだけ変わってきました。
「先生、でんわー!」と教えてくれる子どもたち
学校の教室には内線がついています。子どもの欠席連絡があったと職員室からかかってきたり、休み時間に子どもが運動場で怪我をしたと保健室から連絡があったり、それなりの頻度でかかってきます。
ですが、内線のコール音が鳴っても、私はその音に気づけないことがよくあります。子ども達の登校前や放課後など、人が少ない時間帯は聞こえることもあるのですが、授業中や休み時間は、話し声や他の物音にかき消されてしまいます。授業中は自分の話し声だけでも聞こえなくなります。😂
はじめのころは、それを自分の“仕事のミス”として受け止めていました。
でもある日、子どもたちが気づいて教えてくれるようになりました。
「先生、電話鳴ってるよ!」
「先生、電話とったよ! はい!」
何度も助けられました。
「気づいたから知らせよう」
「先生を助けよう」
そんな気持ちを自然に持ってくれる子どもたちに、頼もしさを感じました。
最初は一人、二人だけだったのが、気づけばクラスのほぼ全員がいっせいに「先生、でんわー!」と大声で教えてくれるようになりました。😂
苦手なことがあってもいい。工夫したり、助けてもらえばいい。
私は小学校で働いています。いわゆる通常学級、特別支援学級、どちらも担当したことがあります。
子どもたちと接する中で、日々感じることがあります。
それは、ひとりひとり得意なことも苦手なこともまったく違うということ。
でも、それは“その子らしさ”でもあります。
人の話をよく聞いて気づかいができるけれど、読み書きが苦手な子。
記憶力は抜群だけど、感情のコントロールに苦労している子。
さまざまな個性を持つ子どもたちと毎日向き合う”学校”という場所で過ごす中で、こう感じるようになりました。
「だれにでも苦手なことがある。でも、それを補う工夫をしたり、誰かに助けてもらったりすれば、ずっと生きやすくなる。」
それは、難聴をもつ自分自身にも当てはまることでした。
苦手なことがあるのは、恥ずかしいことでも、隠さなければいけないことでもありません。
それをどう受け止めて生きていくかが、大事だなと思います。
まあ難しいですけどね!!!🤣
その人なりの一生懸命
以前の私は、目の前の子が授業に集中していなかったり、学習に乗り気でなかったりすると、
「もうちょっとがんばろうよ」と言いたくなることがありました。
でも、自分自身が“聞こえにくさ”という見えにくい困りごとを抱える中で、ふと気づきました。
外からは見えないだけで、実はその子なりに一生懸命がんばっているのかもしれない。
例えば私の場合、耳で聞き取った指示を理解したつもりで行動し、失敗してしまうことがありました。
真剣に聞いて、まじめに取り組んだつもりでも、「ちゃんと聞いてなかったんじゃない?」と言われてしまい、言い返せず、落ち込むこともありました。
同じように、周囲に誤解されている子どもたちもたくさんいると思います。
一見さぼっているように見えても、実は気持ちを整えている最中なのかもしれません。
そんなふうに、外からは見えない子どもたちの“がんばり”を想像するようになりました。
聞こえにくさがくれた視点
「聞こえにくい」ことで苦しんだこともあります。今でも、悩むこともあります。
でもそのぶん、「気づけたこと」もたくさんあります。
だから今は、「聞こえにくい自分」も含めて、自分らしく生きていこうと…ほんの少しは、思えるようになりました。😂